nicoの備忘録

30代共働きワーキングマザーの頭の中です。

誕生日って、なんかそわそわする。

先日、一つ年をとりました。
この時期は春休みなので、昔から、家族はともかく友人にはリアルタイム(誕生日の日中に、という意味)で祝ってもらえることはほとんどありませんでした。
ですが、いつの間にかSNSの発達によって、今日は○○さんの誕生日です!とわかるようになり、祝ってもらえるようになりました。

昔は、人間関係の一つの秘訣は「マメであること」だと信じていたことがあって、知っている友達の誕生日には必ずメールをしたり、プレゼントをあげたりしていた時期がありました。
0時00分を狙っておめでとうメールを送っていたこともあります。
けれど、最近はなかなか忙しく、また今どきのSNSだといろんな友達(特に仲良くなかったけどなんとなく友達になっている同級生など)がいるので、良くも悪くも人を選ぶようになっていました。
でも、今回気づいたのです。
誰から言われたとか関係ないんだなって。
祝おうとする気持ちが嬉しいのだということに。

もちろん0時00分に祝ってもらえたり、わざわざメールをくれたりすることの嬉しさは格別ですが、それがたとえ他人のSNSをみた便乗であっても、祝う気持ちに変わりはないんですよね。

そう考えると、人を選ぶというのも違うのではないかなと思えてきました。
例えばものを頼むときとか、何かイベントの参加者を募りたいときは、応じてくれそうな人を選んでしまうのは仕方ないことです。
でも、「今日誕生日です」と表示されている人があんまり仲良くないからお祝いしない。というのは何か違うのかもしれません。

とはいえ、なかなかバタバタしてて、祝う気持ちはあっても書き込む時間や気力がない、というのも、また事実なんですがね…。

で、話を戻すと、昔は全く誕生日なんて気にしてなかったのに、今は「私のSNSにコメントくれる人はいるかしら」となんとなくそわそわしてしまう自分がいます。
こんなことでそわそわしても仕方ないのに、なんなのでしょう。
きっと、誕生日は誰にでも平等なものだから、他の人と同じくらいは祝われたい、という、何か邪な気持ちなんでしょうね…。